最新の記事
カテゴリ
全体 はじめに 第1章 螺旋水車とは 第2章 製作業者の盛衰 元井豊蔵 第3章 製作業者の盛衰 犀川と森河 第4章 爆発的な普及と農業機械化 第5章 富山県外の普及状況 第6章 タービン水車と簡易ペルトン水車 第7章 機械的な限界と衰退過程 第8章 最近の動き(1989-1990) 参考文献 補遺 各種資料 水車雑話 振り返ってみれば 未分類 検索
タグ
外部リンク
その他のジャンル
以前の記事
|
元井式螺旋水車は、1922(大正11)年4月に富山市で開かれた富山県農会主催の動力農具展に出品されたのをはじめ、翌年9月の三重県農会主催全国農具展覧会など全国各地で開かれた農具展示会に次々と出品された。 斬新なスタイルと持ち運び可能という特徴は、人々の注目を集め、数々の賞を受ける。1923年9月の山形県農会主催発明農具共進会で三等賞、東砺波郡物産共進会と1924年3月の香川県主催全国農具展覧会、1925年4月の福井県農会主催の北陸四県農会連合農具共進会でそれぞれ金牌を受けたほか、1924年に愛知、1926年3月に宮城、4月に新潟、10月に大分、11月に鹿児島、1927年9月に山形の各県で開かれた全国農具共進会で入賞した。 また、岐阜と佐賀の両農事試験場の審査を受けて、1926年3月に北海道、1927年5月高知、同年11月福島、1928年2月富山の各農試の「使用奨励農具」に選ばれている。
元井商会は、螺旋水車のほかに、縦軸タービン水車や藁打ち機、除草機、馬耕鍬、改良鋤、かまなども製作した。中でも、河原理吉とともに考案したとされる「マル元式」(元井式)藁打ち機は1925年5月の大日本農会主催の発明懸賞で三等を受賞してよく売れたという(『農具新報』1926年6月)。 1926年3月、豊蔵は富山県産米改良特別功労者9人のなかに選ばれ、知事表彰された。 しかしそれから1年後の1927年3月3日、元井豊蔵は死去した。過労の末、患った結核が原因だったと言い伝えられている。螺旋水車が売れに売れ、ようやく人生が開けはじめた矢先で、まだ39歳、働き盛りだった。
by kingetsureikou
| 2013-11-19 23:20
| 第2章 製作業者の盛衰 元井豊蔵
|
ファン申請 |
||