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全体 はじめに 第1章 螺旋水車とは 第2章 製作業者の盛衰 元井豊蔵 第3章 製作業者の盛衰 犀川と森河 第4章 爆発的な普及と農業機械化 第5章 富山県外の普及状況 第6章 タービン水車と簡易ペルトン水車 第7章 機械的な限界と衰退過程 第8章 最近の動き(1989-1990) 参考文献 補遺 各種資料 水車雑話 振り返ってみれば 未分類 検索
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それにしても、若き鍛冶職、元井豊蔵は螺旋水車をいち早く考案しながら、なぜすぐに特許を出願しなかったのだろうか。 「すぐに専売特許をとろうとしたが、うまくいかなくて途中でやめた。それは豊蔵が素人だったから…。昭和に入ってから、たしか特許の関係で訴訟をやったと思う」。こう語ったのは、元井水車工場で働いていた河原慎一さん。 たしかに『富山日報』も「元来世事に疎い氏は、折角の発明品であるのに、特許を受くることを怠っていた為に…」と、うっかりミスを指摘している。しかし、1920(大正9)年に「調帯緊張装置」を出願していたのだから単純に怠っていたとは考えにくいのではないか。 富山県農政課長だった緒方正太郎が1936(昭和11)年に「富山県に於ける簡易水車の利用」と題して雑誌『農村工業』に寄稿した文中の記述は、興味深い。 「斯くの如き形式を有するものとしては当時既に揚水機の発明あり専売特許として市販せられ、しかも辛酸を嘗めて漸く完成した本機も未だ特許を得るに至らざるに早くも他に於いて模倣され、直ちに模造品の発売せらるるあり、発明家の薄幸言ふに忍びざるものありしは当時の事情を知る程の者の等しく同情に堪へない所である」
つまり、螺旋ポンプの特許権に抵触したというのだ。 螺旋ポンプいわゆるアルキメデス・ポンプは、その起源がはるかに古く紀元前287年に遡るとされる。日本では江戸初期に佐渡金山で揚水に利用されたのが最初とされ、「竜樋」「竜尾車」「水上輪」などの名でさまざまな古文書に記述がある。その後、農業用としても用いられたが、製作が難しく、限られた地域でしか普及しなかったといわれている。なお、富山県では使用されたとみられる記録は残っていないようだ。 螺旋ポンプに当時、特許権があったのかどうかさだかではないが、螺旋ポンプが一般に知られた揚水機だったとすれば、元井はこれにヒントを得たのではないか、という疑問が生じる。 両者の構造を細かくみると、相違点は少なくない。伝統的な螺旋ポンプはふつう外筒と羽根とが一体となって回転するが、螺旋水車は固定された半円筒形の樋の中で螺旋羽根だけが回転する。螺旋ポンプはふつう外筒の出入り口の口径が違うテーパーになっているが、螺旋水車はテーパーになっていない。しかし、元井豊蔵が出願した実用新案の段階では、外筒と羽根が一緒に回る型の螺旋水車(大正14年公告第9356号)の図面があるし、のちに改良型を考案した犀川正作の実用新案の図面の中にはテーパーの螺旋水車(大正12年公告第5510号)もある。いずれにしても、螺旋ポンプと螺旋水車は、ネジの原理を応用した表裏一体の技術なのである。 1920年代の『実用新案公報』を調べたところ、完全とは言い切れないが、富山県内の水車製作業者による34件の出願を確認できた。その34件を並べてみると奇妙なことに気付く。出願された実用新案のほとんどに、金沢市千石町の弁理士、松井太作が代理人として名を連ねているのだ。
1906(明治39)年に開業した松井特許事務所は当時北陸地方では数少ない特許事務所の1つであり、元井・本江・犀川を含め数多くの発明家たちがこの事務所を訪ねていた。元井の着想が螺旋ポンプの特許権に抵触したとすれば、それは松井太作の判断と言えるはずである。松井が元井の螺旋水車の実用新案出願をいったん見送り、2年後に本江の螺旋水車を出願したのはなぜなのだろうか。 現在、松井事務所は法律事務所に変わっている。当時の書類はもはや残っていないという。 螺旋水車というアイデアは、どこまでユニークと言えるのか。これにはさまざまな見方があろう。ドイツでは、1882年に開催されたドイツ技術者協会のヴュルテンベルク州会議の報告の中に、エンジニアのフリッツが螺旋水車を作ったとされているという。事実だとすれば、これは元井豊蔵が考案した38年前にあたる。 追記1(2010年)
ドイツのらせん水車については、西日本工業大学機械工学科の池森寛氏が『産業考古学』に次のように記している。 「らせんの外径は2.2メートルで、長さは2メートルある。羽根は8条で、8分の7巻きの金属板製。らせんを取り付けるボス部も金属板製で、外径が0.8メートルの円筒形をしている.本体を水平に対し30度傾斜させ、半円筒形の石の案内水路に設置する。」
「アルテンスタイクの製材所で使われ、性能は落差が0.928メートル,流量が毎秒1190リットルのとき、最高出力7.6馬力(毎分22~25回転)が得られている。効率は52%である(動力測定の際、中間軸を介したため、効率はこの値より大きいらしい)。」 「なお、1874年米国で発行されたD.クレイクの本の中にも、らせん水車を思わせるSpiral,or Screw Flood Wheelと呼ばれるものがある。文章のみで詳細はよく分からないが、円筒の中にらせんを入れ、全体を水平に水の中に沈めて使用するらしい。」 追記2(2011年) 日本では1921(大正10)年、特許法・実用新案法・意匠法 ・商標法 が改正され、先に出願した人の権利を認める「先願主義」が採用された。明治18年の専売特許条例以来の「先発明主義」を転換する改正であり、これが螺旋水車の特許出願競争の背景にあった可能性がある。
by kingetsureikou
| 2013-11-19 23:30
| 第2章 製作業者の盛衰 元井豊蔵
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