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全体 はじめに 第1章 螺旋水車とは 第2章 製作業者の盛衰 元井豊蔵 第3章 製作業者の盛衰 犀川と森河 第4章 爆発的な普及と農業機械化 第5章 富山県外の普及状況 第6章 タービン水車と簡易ペルトン水車 第7章 機械的な限界と衰退過程 第8章 最近の動き(1989-1990) 参考文献 補遺 各種資料 水車雑話 振り返ってみれば 未分類 検索
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1989年7月、筆者が現存を確認した螺旋水車は、富山県内に15台、県外に12台の計27台。正確にいえば、このうち昔ながらに動態保存されているのは1台だけだが、資料展示や村おこしのために新たに製作されたものも2台ある。最後に螺旋水車をめぐる最近の動きを紹介する。 富山県福野町野新の菅原久平さん宅で1989年1月14日、住宅の改築に伴い、動態保存されていた螺旋水車が取り外され、藁打ち機や丸ノコなどがあった水車場が取り壊された。富山県内に現存する多目的水車場としては福光町広谷の吉野宅治さん方の水車場と並ぶ最高傑作で、ここ数年注目を集めて県内外から見学者が訪れていただけに、惜しむ声も少なくなかった。 水車場は住宅と棟続きで20畳ほどの広さだった。コンクリートの床下に螺旋水車が傾けて据え付けられていた。ふだんはカバーがかけられていて見えない。動力はそこからプーリーやシャフト、ロープを使って伝達され、杵式の藁打ち機や無断変速機のついた動力縄ない機、丸ノコとドリルと研磨機が一体になった工作機、ウインチなどの作業機械を動かしていた。 驚かされたのは、シャフトやロープでつくられた動力伝達機構だ。近くの鉄工所からもらってきた耕運機などの廃品を巧みに活用していて、クラッチ1つで簡単に切り替えられた。苗島用水の取水口から30-40mある水路は暗渠で、水車の手前にハンドルで片手で操作できる水門があり、ペダル1つでごみを除ける装置もあった。 この水車場をつくり上げたのは、久平さんの父で亡き久太郎さんである。久太郎さんは1953-1954年ころ、自宅わきの二万石用水(苗島用水)の流れを利用して脱穀機などを動かそうと螺旋水車を購入した。 野新地区は旧南野尻村にあたり、戦前、数多く螺旋水車の普及した村の一つだ。1935年の資料によれば、農家数267戸に対して8割強の224台の螺旋水車があったとされている。久太郎さんが螺旋水車を購入した時期は、すでに螺旋水車は姿を消しはじめ、農業用電力と小型モーターが時代の流れとなっていたが、久太郎さんは身近な水力を利用することになぜかこだわり、昭和30年代に入って水車場の機械を次々に自作していった。水車場の片隅には「昭和三十四年十二月完 久太郎五十五才」という覚え書きが残っていた。 水車場は、近年まで縄ないやちょっとした大工仕事などに利用されていた。「昭和56年10月に78歳で亡くなるまで藁で縄をなったりまきを切ったりするのによく使っていました。とにかく庭の雪吊りの縄は買わずに済んだ」と、久平さんはいう。 機械いじりが好きだった久太郎さんは、水車場以外にも、脚立やトタン折り機、ネズミ捕り機、庭のミニ揚水水車、全天候型の洗い場などを考案し、残している。どこか遊び心があって生活に密着した創意工夫。それは、身近な水力を活用しようと螺旋水車を発明した元井豊蔵、「曲がり尺をもたせたら何でも作ってみせる」といって螺旋水車の改良に力を注いだ犀川正作らと通じるところがあるようにも思える。 妻のせきさん(78歳)によると、久太郎さんは「いちがい(一途)でまめな人」だったという。「庭の堀を作るとき、私は『藁葺き屋根の穴を直すのが先』と責めたけど、『屋根はいつでも直せるが、露地は思った時でないとできない』と言っていた。洗い場は、野菜や洗濯物を洗うのに本当に便利でした」。 私がこの水車場が訪ねたのは、1983(昭和58)年の暮れで、久太郎さんはすでに他界していた。このころからテレビや雑誌で取り上げられ、それをみた見学者が県内外から相次いで訪れた。人知れずこつこつと発明をしていた久太郎さんが生きていたなら、どれほど喜び、感激したことであろうか。タクシー運転手の久平さんは、仕事の都合がつく限り、快く案内し、水車場の仕組みを丁寧に説明してくれた。 建って100年近くたつ菅原さん宅は、数年前から改築の話があったが、久太郎さんの形見ともいえる水車場を壊すのがためらわれた、という。そこへ、螺旋水車発明の地である砺波市が、かねてから計画していた「花と緑と水車村」構想の中に螺旋水車を復活させることになり、水車場を移築する話が持ち上がった。「壊したり燃やしたりするより、再現して保存してもらえるならありがたい」と、久平さんはOKしたのだった。 1月14日午後、30年間動き続けた水車場の機械一式は取り外され、トラックに積み込まれた。「案外簡単に壊せるもんですねえ」。久平さんらは、トラックを見送りながら、心の中でさよならと言った。
by kingetsureikou
| 2013-11-19 22:32
| 第8章 最近の動き(1989-1990)
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