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全体 はじめに 第1章 螺旋水車とは 第2章 製作業者の盛衰 元井豊蔵 第3章 製作業者の盛衰 犀川と森河 第4章 爆発的な普及と農業機械化 第5章 富山県外の普及状況 第6章 タービン水車と簡易ペルトン水車 第7章 機械的な限界と衰退過程 第8章 最近の動き(1989-1990) 参考文献 補遺 各種資料 水車雑話 振り返ってみれば 未分類 検索
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螺旋水車を昔の人たちの知恵として評価し、積極的に後世に伝えようという動きが、近年ようやくでてきた。 「螺旋水車を製作してもらえないでしょうか」。砺波市野村島で森河鉄工所を経営する森河明さんの元に、思いもかけぬ注文が舞い込んだのは一九八四(昭和59)年夏のことだった。 森河明さんの記憶によると、父慶作氏が創業した森河農具商会はかつて数多くの螺旋水車を全国に向けて出荷したが、それも戦前までの話で、終戦後はめっきり注文が減って一九五二(昭和27)年ごろの3台を最後に水車製作をやめてしまった。実に32年ぶりの受注である。 注文主は、奈良県南部の山間部にある大塔村。過疎に悩む大塔村は水車を回して観光の目玉にし、それをきっかけにムラおこしを図ることになった。その水車群の一つに、螺旋水車も選ばれたのだった。 懐かしい注文を受けたのはいいが、再製作は多難だった。何はともあれ昔の水車部品がほとんど残されていない。たまたま近くの井波町高屋に残された現物を参考にしながら部品を準備したが、ハランテと呼ばれる特殊金具を再度設計して鋳造するまで3か月も要した。幸い、扇形羽根の金型と手回し式のプレス機だけは保存されていた。 組み立て作業は、近くに住む兄の茂正さんも駆けつけ、丸一日かかって行われた。扇形に裁断した鉄板(厚さ1.2mm)をプレス機にかけて1枚ずつねじり、シャフトにボルト締めした金具に、その扇形鉄板をボルトで連結していった。「昔父に教わったのをなんとか覚えていましたが、直径が昔のものより小さめなので全体の設計に手間どりました。地元の砺波でよみがえらないのがちょっと残念ですが…」と明さん。出来上がった螺旋水車は1984年8月、大塔村に出掛けて、6台の各種水車が並べられる水車の村・大塔へトラックで出荷された。 富山県東部の入善町でも1985(昭和60)年5月、かつてダイロの愛称で親しまれた螺旋水車が復元された。町教育委員会が、同町中央公園内に広さ約20平方mの小屋を作って新設したものだ。直径80センチ、長さ130センチの鉄胴型の四重螺旋。130cmの落差を利用して約30度の傾斜で据え付けられ、毎分100回転で1.0-1.5馬力の出力という。12センチ角で30kgの藁打ち杵や300wの発電機、石臼、精米機、縄ない機を動かす。 製作したのは、町の発明家として知られ、鉄工所を経営している小林定道さん(同町小摺戸)。同町新屋の究薀公園に展示してある木胴型螺旋水車をもとに図面をひき、記憶をたどりながら組み立てたという。鉄板をプレスする型がないため、螺旋羽根は一枚ずつ手でたたいてつくったそうだ。「羽根の角度に一番苦労ましたが、作っているうちに昔の思い出がよみがえってきました」と小林さんは話している。
by kingetsureikou
| 2013-11-19 22:31
| 第8章 最近の動き(1989-1990)
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